ドイツ/スイス/パリの旅

その4


May/26/2001 (Sat)

都市名交通機関時刻コース内容


4フュッセン専用バス 午前 ooo
ノイシュバンシュタイン城 ルードヴィッヒ2世の城 "白鳥の城" ノイシュバンシュタイン城見学。
アルプ湖を見下ろす絶景にたつメルヘンの城は、その名のとおり白鳥そのものの姿です。
インターラーケン夕刻フュッセンよりスイスの国境をこえ、インターラーケンへ。
本日の夕食はスイスを代表するミートフォンデュをご用意。(走行距離:360km)

6時起床。窓の外を見てみると「わぁ」。町がすっかり霧に覆われてました。 盆地全体がすっかり霧に覆われていて、その向こうには山が出ている。見事な風景でした。 でも朝食が終わる頃にはもう無くなってましたが。

7時朝食。7時半出発。出発がこんなに早いのは、添乗員さん曰く「ノイシュバンシュタイン城の入場時間を9時35分に予約してるが、 その時間までに入場しないと、新たに切符を買うことになる。そうすると1時間は遅れる。」実際は9時35分から入場できるだったけど。 上のを見て分かるように、この後長距離の移動が控えているので、急いでいるだけだったりする。オーストリアとの国境沿いの道路を 走る。オーストリアとの間には検問所はない。「これで2ヶ国に行ったことになりましたね」なんて添乗員さんが言ってる。 ちなみにオーストリアはかすっただけで、ノイシュバンシュタイン城はドイツです。

まずは、ノイシュバンシュタイン城(Schloss Neuschwanstein)のふもとの免税品店の前でバスを降りる。 「ノイシュバンシュタイン城までの上りはバスを使う。見学後はいったん城で解散して、各自でふもとまで降りる。 歩いても20分前後だし、馬車に乗ることもできる。その後自由行動で、この免税店前に集合して昼食」と言う予定が伝えられる。

まずはバス。ノイシュバンシュタイン城とふもとを往復するだけのバスらしい。道はバス1台がどうにか通れる程度の道幅。 10分ほどで到着。そこからまず坂を登って、城の後ろ側へ。谷川の上につり橋がかけてあって、そこからアルプ湖をバックにした ノイシュバンシュタイン城が見れる。ここは盆地みたいになってるんだけど、風景が非常にきれいだった。 ただ、難点を言えば、つり橋、木の板なんだよね。基本構造は鉄のなのに。下まで200mくらいはあったと思う。ちょっと怖かった。 添乗員さん他数名は橋まで来てませんでした(笑) もと来た道を戻り、ノイシュバンシュタイン城の方へ。

入場時間(9:35)まで時間があるので、入場口付近でうろうろ。入場口はなんとオートゲート。 日本の空港の搭乗口にある改札機に似た感じのもの。ただし、チケットは手前に戻ってきて、 ゲートにはバー(テーマパークとかにある回転式のやつ。)が付いてたけど。 ゲートの上には番号が表示されていて、それに自分のが出ると改札機を通れるようになるそうだ。 ちなみに5分毎に1番。9:35の組は410番。

時間が来て、入場。と思ったら、また止められる。今度は上に表示された番号(410)に従って、 通路を進んだところで止められる。前のグループとの間隔を空けるためっぽい。数分待たされて、 進むが、日本人は左へ、外国人(っていうか僕たちも外国人なんだけど)は右へ。 中に入って階段を上がったところで再度待たされる。今度は鉄の柵の扉。 っていうか、なんでここだけ、ドイツ人と外国人が分けられてるのだ?(伏線。ってばらすな、ここで) こら、そこの外国人、割り込むな。ん、手にもってるの、何?(これも伏線)

柵の右側の通路からトランシーバーを持った兄ちゃんが現れる。パッとみ大学生くらいかなと思ったけど。 鉄柵を空けて、割り込んだ外国人が手にしている機械に何か小さなものをかざしてる。 その後日本人が案内された。ガイドの兄ちゃんを先頭にして、通路を進み、城主のルートビッヒ二世(Ludwig II、 かっこよかったらしいよ。若くして死んでるけど。今でもヨーロッパ中にファンがいるらしい)の銅像 (これ見る限りではそうでもない気がするんだけど)がある部屋へ。 ガイドの兄ちゃんは部屋の入り口でまた割り込んだ外国人が手にしている機械に何か小さなものをかざしてる。 外国人はその機械を耳に当ててる。 そしてガイドの兄ちゃんは部屋に備え付けられている箱を開けて、何か操作すると……、日本語で城の案内が(苦笑) グループごとに案内が放送で流れるんだが、一番多い言語にあわせられるようだ。 で、それ以外の人は機械を借りて、それの案内を聞くと。なかなかよくできた仕組みというか何というか…。 ま、英語とかドイツ語で流れるよりははるかにましですが。

ここの城主、ワーグナーが好きで、ワーグナーに関連した装飾が多いらしい。資金援助もしてたって言ってたような…。 城の中にコンサートホール(といってもそれほど広くない。小学校の体育館を少し狭く、天井を低くした感じ) もあったそうだけど、城主は完成前に死んで、一度も使われなかった。玉座の間も玉座がなかったしね。 アルプ湖での溺死といわれてるんだけど、その原因は不明らしい。

この城、きちんと手入れがしてあって、きれいです。ただし、階段が異常に多いのだけは勘弁して欲しかった(泣) 見学コースをたどっていくと、城の外に出ます。添乗員さん曰く「ここ何度も来てるんだけど、来る度にコースと出口の位置が変わってる」 らしい(笑) 全員が出てきてから、下り坂のほうへ。ここからは一本道という地点からはみんなばらばら。 途中でアイスを買って食べながら、ゆっくり下りていきました。

そして、免税店へ。スイスに近いせいか、時計が多かったですね。高かったけど(泣) 日本人スタッフが多かったような…。 その後昼食を食べる。バスの出発時刻が伝えられて再度解散。バスに乗る前にハンスさんとバスをバックに写真をとりました。

ここからはひたすらバスで移動。アルペン街道をひたすら走り、スイス国境へ。ここには川をはさんで検問所がありました。 川の手前にドイツの国境検問所。こちらは出国側なので何もしません。川を渡って、スイスの国境検問所。 乗用車は一台一台止められて、パスポートを見せているようでしたが、バスはスルーパス。 ただし、免税手続きのため、対象者の書類とパスポートを集めて、添乗員さん2人とハンスさんは検問所へ。 15分程度で手続きが終了し、出発。

しばらく走って、ボーデン湖(Bodensee)のそばを走る。日光浴してる人が結構いましたね。 あちらでは日光は貴重なものらしいです。スイスにもアウトバーンがあって、アウトバーンも使って、移動。

ハンスさん、サービス精神旺盛な人で、前の晩、打ち合わせをしていた時に、添乗員さんに 「リヒテンシュタインにも行かないか?」って言ってたそうです。 で時間に余裕があるので、それを実行。アウトバーンをいったん降り、リヒテンシュタイン(Liechtenstein)へ。 リヒテンシュタインには国王がいるんですが、その城(宮殿だったかも)のそばを通って、首都へ。地名は忘れましたけど。 添乗員さん、ついでにスイスフラン(SFr)に両替しちゃいましょうということで、市内のお店で両替。 ここ、手数料なしだったので割と儲かっちゃいました。でもレシートがないので、よく覚えてません。 リヒテンシュタイン自体の滞在時間は1時間くらいじゃなかったでしょうかね。

再びスイスに戻り、アウトバーンへ。 スイスは山と湖を縫うように道路が走ってたりします。添乗員さん曰く「あの家、どうやって行くんでしょうね」 というようなところにも家があったり。道路よりもかなり高いところとか、湖の向こうの一軒家とか。

スイスでは直接民主主義がいまだに残っていますが、今回はその欠点も見てしまいました。 いたるところでトンネル工事をやってるんです。観光客が多くなって、自動車による騒音が問題になっているらしいです。 で、山の下を一気に通してしまえと。 スイスはそれほど裕福な国ではないのですが、住民たちが決めたことはきっちり行われるそうです。

しばらく走って、インターラーケンへ。これ、アルファベットで書くと分かりやすいかも。 Interlaken。湖(laken)の中(inter)。2つの湖に挟まれたところに、町があるんです。

町の中心の免税店でお買い物。実はスイスでどうしても欲しいものがあったんです。 スイス国鉄が使っている時計。鉄道ファンならぜひ欲しい一品…かどうかは分かりませんが、 これの懐中時計があるらしいと。で、探してたんですが、ここにありました……ただし、売り切れ(泣) パンフレットだけが置いてありました(泣) ここでは、バイト先と研究室へのお土産となるクッキーとチョコレートを 確保。ここで、offline でのクレジットカードの処理、初めて見ました。クレジット端末がないなぁとは思ってたんですが。 ちなみに、これは私に有利に はたらきました。処理日が遅れて円高の日に決済されたんです。 4円/SFr くらい儲かってます。

そしてホテルへ。実はここで2つに分かれました。今回のツアーは予定人数より多くしたため、 追加手配ができなかったようです。はじめに僕たちのグループが泊まるホテルへ。11人だったかな。 とりあえず、バスはもう1つのホテルへ。スーツケースはまた持ってきてくれるとのこと。 ここでは僕たちのグループを白水さんが担当することになりました。 ちょっと手間取ってましたが、何とかチェックイン。ここのホテル面白かったです。 僕たちは1階の部屋だったんですが、一度2階に上がって、また1階に下りる、その階段の先には2部屋しかない、という妙な構造。 まるでRPGのダンジョンのようなつくりでした。(カメラを持っていかなかったことが一番悔やまれるところかも) それから深夜から早朝にかけて外に出るときは、フロントの横にある装置に部屋のカギを指し、 玄関のカギを受け取って出て行くというしくみ。玄関もカギをかけちゃうんだそうです。

とりあえず、夕食。ミートフォンデュ。赤身の牛と何かの肉だったと思うけど、それがさいころ状に切られていて、 それをくしに刺して、各自で油で揚げる料理。油の入った容器をウエイターさんが持ってきたんだけど、 そのとき「アチチ」って言ってたのが、またおかし。熱いよって伝えたかったらしいんです。 添乗員さんが向こうの人って、すぐ日本語を覚えるって言ってましたね。 やっぱり興味深い国なんでしょうかねぇ、日本って。

なぜか、白水さん慌ててる。1組足りない…らしい。 こっちに来るはずの人が向こうに行ってしまってたのでした。 で、僕たちのテーブルにその人たちが遅れて到着。北九州市の親子で、母親と娘さんでした。 ここのホテルでの変更は出発当日、フランクフルトへ向かう飛行機の中で伝えられたのですが、 そこで他の組と一緒に伝えたつもりだった、と添乗員さんに言われたそうです。

ちなみに、夕食の飲み物代は阪急もちでした。変更の通知が旅行開始後だったからだそうです。 それでみんなよく飲むこと。翌日夕食の時に添乗員の中岡さんと父親が話したんですが、
父「昨日はご馳走様でした(笑)」
中「いえいえ、こちらの手配ミスですから。」
父「みんな、大騒ぎでしたよ」
中「ええ、そうだったみたいですね。白水に飲み物代として100フラン渡してたんですが、 足りなかったそうで、140フランぐらいかかったって言ってました。」
阪急、つぶれないといいけど(笑)

この娘さんとなぜか共通点がありまして、僕はなぜか学部に5年行ってるんです(苦笑)が、彼女も5年行ってたり、 弟が今行っているのと同じ大学、同じ学部の出身だったり。かわいい人でした。でも僕よりx才も年が上だというのは内緒。 1-2年上かなくらいに思ってたんですが。 ちなみに、ここのホテルのレストランにいたウェイトレスの女の子もヒンギスに似ててかわいかったです。 ちょっと得した気分でした。いや、何も得してないんですが。

さらに遅れて、ハンスさんが到着。今回はこちらに泊まるようです。 一緒にビールを飲もうなんて父親が誘ってましたが、仕事で来てる時は多くは飲まないようにしてる、とのこと。 ドイツ人って、真面目ですね。ハンスさん、みんなの前にいる時はいつでも笑顔でした。 あんな笑顔ができる人になりたいものです。


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